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浄土真宗本願寺派 善教寺

仏説観無量寿経 (無量寿仏観経、観経)HEADLINE

観経の教説
・序 分 ー 発起序
(釈尊在世当時に王舎城で起こった事件を契機に説かれる)

○王舎城の悲劇
 釈尊がマガダ国の首都王舎城の耆闍崛山に滞在して説法されていた時、王舎城に大きな紛争が起こった。マガダ国の太子アジャセ(阿闍世)が、釈尊を敵視していたダイバダッタ(提婆達多)にそそのかされ、父王のビンバシャラ(頻婆娑羅)を七重の牢獄に閉じ込め食べ物を与えなかった。王妃のイダイケ(韋提希:アジャセの母)は密かに王のビンバシャラに食べ物を運んだ。王は釈尊から遣わされたモッガラーナ(大目犍連)から八戒を受け、フルナ(富楼那)から教えを聞き、三週間を過ぎても健在であった。アジャセはそのことを番人から聞き、母親のイダイケを殺害しようとするが、耆婆、月光のいさめにより思いとどまり、王宮の奥深くへ母親も幽閉する。
 我が子に背かれて囚われの身となったイダイケは、はるかに耆闍崛山の釈尊に向かって大目犍連と阿難を遣わしめたまえと懇願する。釈尊はそのイダイケの心をお知りになり、直ちに大目犍連と阿難を伴い王舎城に向かわれる。そこでイダイケは苦悩を訴え、憂いと苦しみのない世界を教えて欲しいと哀願し、釈尊は眉間から光明を放ち諸仏の浄土を現出された。それを見てイダイケは阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいと釈尊に訴えた。



・正宗分
イダイケが求めた極楽浄土への往生の行法(定善観法、散善観法)が説かれる。

・流通分
称名念仏が説かれている。~なんぢよくこの語を持て(たもて)。この語を持てといふは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり~